演講提要:
現代の日本人であるわたしにとって、旧中国の諸思想はそのどれもが難解であるのだが、そのなかでも陽明学(王学)は、とりわけ理解することが容易ではない思想のひとつだと感じている。十六世紀中国に活躍した王門の人士による発言を、現代の日本語に置き換えようとした場合、かれらとは異なる時代の如何なる思想家の発言にも増して、乗り越えがたい壁の存在を感じるわけである。本報告において、わたしは、江右王門の盟主のひとりである欧陽徳を取り上げ、その学問的足跡をたどりながら、かれにおけるその時々の思想的関心を考察する。言うまでもなく、その考察には、わたし自身のつたない陽明学理解が反映している。ただし、その理解の仕方は、日本の研究者が示してきた陽明学理解の、その末端に連なるものでもあり、それに対して台湾の専門家がどのように判断を下されるのか、本報告は、東アジアにおける文化交流を考えるうえでも、非常に興味深いケーススタディ case studyだと言えるだろう。